人は時計に何を求める? 実用性なのか、見た目の美しさであろうか、ステイタスであろうか。 monogatariというだけにひとつここは語りたいところだが 結局いろんな意味でバランスなのだ。 「好きだから、好きなものをつける」 突き詰めると、それ以上でもそれ以下でもない。 それでいいではないか。 変な話、僕は仕事でも「失敗したくない」と思うタイプではない。 失敗してもいいじゃないか、悪いのか?くらいなものだ。 時計も同じ。 失敗してもいいから、つけたいものをつける。 高価なものだからこそ、失敗したくない、というものではない。 つけたいなら、つける。 悩んで迷ってる間に他人が買ってしまうだけである。 昔から僕は時計に一生物などありえない、と言い続けてきた。 過去のブログでも「時計」についてそのように語っているように。 時計は一生物だから、という感覚はそもそもない。 だから選ぶに迷いがない。 時計は道具である。 主人の成長に合わせて、時計も当然変わるべし。 そう考えている。 20代の後半頃に「清水から飛び降りて買った」という高級時計を 30代半ばになってしていたいとは思わないのだ。 30代半ばになったときは、別の時計をつけている自分であって欲しいと願う。 「一生物だから無理して買った」時計も 数年で全然無理じゃなかった、くらいでないと物足りないのだ。 が、正直な話をすると。 こんなことを堂々と書きながら、 僕は20代頭からずっと愛用する時計は「同じ」モデルである。 バスタブの形の独特のフェイスが美しい時計。 一度その時計を紛失してから、同じものをまた買ったのだ。 しかも、買い直したのは10年近く使ってからである。 それでも同じものを探した。 20代はじめの自分と、30代を超えて働いている自分と、まったく同じ時計でいるのだ。 さほど高価な時計でもない。 それが事実である。 矛盾しているようで、実は矛盾していない。 たいして「主人」が成長していないだけの話であろうことも否定はしないのだから。 それが悪いとも思っていないのだ。 つけたいものを、つけているのだ。 時計は道具である。 男に迷いは必要ない。女性は大いに迷うがいい。 女性にとって時計は大切なジュエリーなのだから。 男にとっては、道具。 ただし「大切な」道具であることに間違いはない。 だからこそ、己の立場を見据えた上で「つけたいもの」をつければいいと考えている。 それが僕のmonogatari.
by foodlovers
| 2008-03-13 22:19
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Profile
金本J.ノリツグ
1973年三重県生まれ。20歳で料理人を目指し上京。和、フレンチ、イタリアンと幅広く学び、料理研究家として活動を展開。簡単でおいしく、薬膳知識をも生かしたヘルシーなレシピが人気を集め、各局テレビ、雑誌に幅広く登場する。食品企業のレシピ開発や商品開発、公演なども手がける。作家としての処女小説に『FOOD LOVERS』、そこから飛び出した実写版レシピ本として『LOVE in COOK』(いずれもアートン)がある。『LOVE in COOK』では、小説の主人公を著者自らが演じ、作品の世界をビジュアル化した。コンセプト、料理、スタイリングはもちろん、文章、写真表現にいたるまでをセルフ・プロデュースした意欲作となり、今後さらなる幅広い活動が期待されている。 カテゴリ
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