フラバ誕生
僕の処女小説,FOOD LOVERS.
この作品は、実は僕がまだ料理研究家としてかけだした20代半ば頃に書いていたものなんだ。でもいろんな事情があって、僕は自分の料理本が10冊を超えたら、いよいよこの小説を世に送り出すようそれから頑張ろうと思っていた。
それが、30代になって、やっと実現できたんだ。
作家として活動するのと、料理研究家として活動するのが、料理研究家として駆け出しの当時にもし重なると、フードラバーズの内容が内容だけに、混乱させたくなかった。
当時、最初にこの原稿を読んでもらったある出版社の編集長が言ったんだ。
その編集長は、作家としてフラバを世に出すなら、自分の名前を変えて出す、など考えた方がいい、とアドバイスをくれてね。その編集長は原稿をおもしろいと言ってくれて、出すなら力を貸すよ、この作品なら骨を折ってあげてもいい、と言ってくれたんだけど。

物書きか料理人になりたいと子供のころから言っていた僕。
その夢かなえに、東京へ。
夢のためなら、自分の命を削ってでも絶対かなえてやる、と全力で闘っていた日々。
作家としての、チャンスなのか、と。けれど料理研究家としての夢がすでに始まっていた。
考えに考えて、出した答えは、僕の料理本が10冊を超えたら、動くぞ、だった。
そのとき堂々、僕自身混乱しない自信があればいいな、と。もちろん、別に出せる保障はなかったよ。でも絶対夢はかなうと信じてた。
このへんは、ツグミに似てる。

文芸の世界は、厳しい。
作家になりたい人は、それこそ恐ろしくたくさんいるし、競争は激しい。
・・・て、びびるはず、ないじゃん。

人と比べるなんて、僕には全く意味がない。
僕は自分の作品を、フラバを信じた、ただそれだけ。
自分の料理を信じて動いたあの頃と同じ。

当時僕は川崎に住んでいた。木造の、小さなアパート。1階だった。敷地内をちょい拝借。
どきどきしながら写真を撮った。
どきどきしながら、男性ファッション誌に、僕の写真を送った。
数日後、その雑誌の編集長から、直接電話があったんだ。
僕に一度会いたいと。護国寺にある、大きな出版社へ僕は出向いた。
その男性誌で、連載ページがはじまったんだ。

ありえないスタートだと言われたけど、これは事実。

フラバがいよいよ産声あげた。

次の闘い、はじまった。

信じることは、あきらめないで。

ってこれじゃ、フラバの追加原稿状態ですね。フラバの世界に飛び込みまくり。
でも本のプロモーション担当、Fさん(イタリア人ね)好きに書いていいですからって言ったもん(しかも日本語で)

じゃあ、また!

※写真は『LOVE in COOK』(アートン刊)で撮影した写真を使用
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(撮影:冨永智子)
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by foodlovers | 2007-08-16 15:41
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